沖縄の9つの世界遺産
沖縄の世界遺産は、首里城をはじめ、中城城跡、座喜味城跡、勝連城跡、今帰仁城跡の5つのグスク(城跡)と、その関連遺産の斎場御嶽(せーふぁーうたき)、識名園(しきなえん)、園比屋武御嶽石門(そのひゃん
うたきいしもん)、玉陵(たまうどぅん)の4つの合計9つが、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として2000 年にユネスコに登録されました。
この記事で紹介する世界遺産の1 つ目は「座喜味城跡」です。
いつ・だれが・どこに作ったの?
15世紀初頭に、当時築城の名人と言われた読谷山按司護佐丸(ごさまる)によって築かれたと言われています。
座喜味城は、沖縄県中部読谷村(よみたんそん)の標高120mほどの丘陵地にあります。
城跡は上ることもでき、最も高いところからは、読谷村の景色はもちろん、那覇や慶良間諸島まで見渡すことができます。
場内での演劇やライトアップイベントなども行われてることもあり、観光客だけではなく、地域の人々も多く訪れます。
以下は城跡内の案内看板より
座喜味城は、15世紀の初頭築城家としても名高い護佐丸(ごさまる)によって築かれたといわれる。
護佐丸は当初、座喜味の北東約4Km にある山田グスクに居城していたが、1416年(1422年の説もあり)中山尚巴志(ちゅうざんしょうはし)の北山城(ほくざんじょう)攻略参戦、北山攻略後は戦後処理のため一時北山城にとどまったといわれ、その間に座喜味の地へ築城を開始したという。
城跡は座喜味部落北側の小高い丘、標高120m余の名護層からなる大地を石灰岩の切石積で取り囲んで築かれており、城は2つの郭からなる連郭式の形態になっている。
城郭内の面積は約4,012.15㎡で、沖縄のグスクとしては中規模である。
この城には一つの郭と二つの郭にアーチの門がそれぞれ一つずつ造られているが、アーチ石のかみ合う部分、門の表と裏両面にクサビ石がはめられており、他のグスク等には類例が見られない。このことから座喜味城のアーチ石門が現存するアーチの沖縄で最古のものと見られている。
座喜味城跡は1972年の本土復帰に伴って国の史跡に指定され翌年の10月から沖縄県ではじめて史跡整備事業が文化庁と県の補助を受けて開始された。
整備事業に伴う遺構発掘調査が行われ成果を上げた。出土遺物はグスク系土器と須惠器(すえき)が少量、中国製陶磁器や古銭などがあり、これらの出土品中最も多いのは中国製の青磁(せいじ)と陶器(とうき)で、これらの中国陶器からみると、15世紀から16世紀までのものがみられることから、座喜味城は護佐丸が1440年に中城(なかぐすく)城へ移った後も使用されたと考えられる。
遺構については一の郭の北側に間口16.58m奥行き14.94mの石組が発掘され、この中に建物が建っていたと思われる。しかし瓦等は出土しないことから屋根は板葺(いたぶき)か茅葺(かやぶき)の建物であったと推定され、また一の郭内の南側ででは城壁を作る以前の柱穴群も発見され、出土遺物からそれほどの時代差はないものの、一の郭内において2つの時期の遺構が確認された。
城跡は第2次大戦において、一の郭内に日本軍の高射砲陣地が築かれ、戦後も米軍のレーダー基地が建設されたが、整備の始まった翌年返還された。城壁は1982年に修復を完了した。城壁の上に立つと首里・那覇をはじめ本島西側本部半島や東支那海に浮かぶ慶良間諸島・久米島・伊江島・伊平屋諸島が眺望出来る要害の地にある。
座間見遺跡 詳細情報
名称/座喜味城跡
電話番号/098-958-3141
住所/沖縄県中頭郡読谷村字座喜味708−6
※通常案内しているルートが、工事により通行止めになっている様です。
読谷村観光協会のサイトで詳しいルートの記載があるので、確認してみてください。
読谷村観光協会サイト/https://www.vill.yomitan.okinawa.jp/facilities/post-14.html
利用案内/入場無料
駐車場/有り